神奈川県横浜市中区山元町3・4・5丁目町内会

このサイトは、町内行事の案内や報告を中心に、会員の方が楽しんだり役立ったりする情報を掲載し、皆さんの生活に潤いを与えるものにします。また、地元を離れて仕事や勉学に励んでいる人や、以前、町内で生活をされていた方のための懐かしい情報を提供します。

元会計監査 元千鶴会(老人会)会長:伊東道雄


●プロフィールを教えて下さい…
年齢は87歳。3丁目に在住。生まれも育ちもは現在の場所という根っからの山元っ子。山元町と呼ばれる前は根岸町字江吾田と呼ばれていた。山元小学校もかつては江吾田小学校と呼ばれており、氏が在籍中に山元小学校となった。当時は1学年3クラスあり、男組、女組、男女組みというクラス分けであった(今のような進級時のクラス替えはなかった)。小学校を卒業→日大高等商学科→学徒出陣(入隊)教育終了→中支派遣軍に編入、戦地に赴く。昭和21年6月に中支那上海から博多港上陸にて復員。博多から列車に乗って横浜まで戻る。が、家に人はおらず長野県の木曽谷に疎開したことを知る。疎開先で父親の死を知る。母親と妹を連れて横浜に戻りバラックを建て生活。父親の家業であった燃料商の組合事務員として働いた。昭和28年、南区玉泉寺近くに住む現在の奥様と結婚。昭和32年に当時の新技術であったポリエチレンの会社に入社。10年後の昭和42年4月にのれん分けの形で独立。有限会社東和制作の取締役社長となる。特殊な加工方法のパテントを取得し、大手出版会社のノベルティ品を数々制作。75歳まで仕事を続けた。

引退後は町内会、老人会の活動に尽力していただいております。

●ご趣味は?
ゴルフ(昔は)。その技術がグランドゴルフにも生きた。室内の遊びはしないアウトドア派。今は写真に凝っている。

●町内会に思うことは…
老人会のあり方を見直す必要があるのではないか。何歳以上を老人と括り、その枠で活動させるという考え方ではなく、年式を考慮した体制作りが求められるだろう。
また、公園(5丁目公園)の清掃を15年間行っているが(愛護会・沢山の表彰も頂いている)後任や継続を考えると心配である。このあたりの不安の分散も検討材料であろう。
役員の高齢化も心配である。各部は2人制(正、副)の充実が求められるだろう。また、適任者を探すアイデアと努力が必要だろう。

●町内会の夢や目標はありますか…
現在、当老人会は52名。50名を切ると会として認められなくなる。旅行を企画しても行く人が減ってきている。高齢化が進む中、老人会を意義あるものにするアイディアを町内会全体で模索していくことが当面の目標でしょう。


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伊東さん、大変長い間お邪魔いたしました。奥様にもお茶を入れて頂いたり、お話を聞かせて頂いたり、ありがとうございました!
町内会や老人会のことでいろいろとご心配いただいているお話をお聞きし、明晰で温かいお人柄がうかがえました。少しでもご心配が軽くなるよう努めてまいりたいと存じます。
これからも長生きしていただき、ご活躍ください。